【文字起こし】英雄は浜辺に少年の夢を見たか【ニュートンの海編】

 著者: 小佐田

説明

小佐田です。

「ニュートンは近代科学の創始者ではない。最後の魔術師だったのだ」

経済学者のケインズはそう語りました。ニュートンは近代科学を作ったかのような印象を持っていますが、そうは思えない面もありました。今回はそんなニュートンの裏面に迫っていきます。(小佐田)

文字起こし

※この文字起こしはwhisperを利用して行っています。
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位置内容
0.0おさらさん
1.5はい
2.5ジョジョの第5部ってアニメとかって言いました
6.0ジョルノ・ジョバーナですか?
7.5そうそうそうそう
8.5黄金の風ってやつですね
10.0ゴールドエクスペリエンスですか?
11.5ええ
12.5ブチャラティですか?
13.5そうそうそう
14.0アリーベデルチですか?
15.0ええ
16.0あのジョジョの第5部って
18.0えっと一番最後に
20.0眠れぬ奴隷っていう話が1話挿入されてたと思うんですね
23.5はい
24.5前話までできれいに
26.5ジョルノ・ジョバーナの物語が終わって
29.0美しいエンディングが流れて
31.0その次の週にもう一回放送があって
33.5最後眠れぬ奴隷っていう1話が挿入されて
36.5なんだか後話が悪いような終わり方をした
39.0っていうような記憶があると思うんですよ
41.0そうだね
42.5そういう意味で今回お話しする
45.0ニュートンの後編のさらにそのおまけっていうのは
49.0ある意味で後話がいい話ではないのかな
52.0というふうに思うんですね
53.5なるほど
55.0というのは
56.0いわゆる歴史っていうもの
58.0その歴史観っていうものが
60.0人間の目によって見て綴られていくものである以上
64.0ある種一面でしか表していないっていう指摘は
67.0当たり前のことではあるじゃないですか
69.5うんうん
71.0私たちは今までニュートンっていう人間を
74.0ある種科学史の英雄という側面から見てきた部分に思うんですが
78.0その英雄っていう彼のその一面も
81.0その人間のあくまで一面にしか過ぎない
84.0っていうのは当たり前の話ですよね
86.0うんうん
87.0ですのでこれからする話っていうのは
90.0人ならざる神の話ではなく
92.0その時代を生きた存在で臆病で気難しくて人嫌いだった男の話なんですよ
97.0なるほど
98.0ことの発端はニュートンの死後からさらに時代を遡り
102.01936年まで時を進める必要があります
105.0この年ニュートンの子孫がロンドンの共媒賞に
109.0ニュートンのその膨大な紙器を出品したんですね
112.0これを競り落としたのが経済学者としても有名な
115.0ジョン・メイナード・ケインズ
117.0経済学の事情を聞けば必ずと言っていいこと名前が出てくるような人物ですよね
122.0うんうん
123.0彼は経済学の研究の傍ら
125.0ニュートンに関する研究っていうのも趣味でずっと行っていました
128.0後の時代ケインズはその趣向を通読して
131.0こんな言葉を残しています
141.0というわけで今回はニュートン編の最後
144.0これとしてニュートンの晩年と彼のオカルト研究についての話をしていこうかなと思います
149.0よろしくお願いします
157.0改めまして活日中毒者計画の竹沢です
159.0同じく大沙汰です
161.0前回までである種科学史っていうシリーズに一度終止符を打ったんですが
166.0今回はそのおまけというか打速ですね
169.0そんな話をしようと思います
173.0はい
174.0さてニュートンの晩年あるいは後年を語る上では
178.0まずこの男の死の話をせねばなりません
181.01702年
183.0ロバートフックは去年68歳でこの世を去りました
187.0フックは最後の1年ほとんど寝たきりな状態になっており
191.0死の直前にはほとんど骨と皮だけになっていたという話が残っています
196.0さらにフックは死の際にはほとんど失明状態だったとも言われており
200.0かつて映画を極めた王立協会の盾役者としての面影はなく
204.0寂しい最後だったと言われているのです
207.0結局王立協会の会長みたいなポジションになったんでしたっけ?
212.0フックは王立協会の事務局長を務めていたんですね
216.0実質的に王立協会の政治
219.0王立協会の運営っていうもののほとんどフックはずっと担ってきました
224.0で彼はその死の際にあってまでその職であり続けるっていうことにはこだわったんですね
230.0さてフックの死後ニュートンは王立協会の会長に就任します
236.0ニュートンによる王立協会での大きな仕事の一つというのは
240.0グレシャムカレッジからの移転作業でした
244.0王立協会の霊名記から拠点として用いられていたグレシャムカレッジは
248.0老朽化がひどく
249.0王立協会は新しい場所を探すという必要が前々から指摘されていました
254.0ニュートンはある日突然総会を開き
257.0ほとんど強行採決に近い形で王立協会の拠点をグレシャムカレッジから移すということを決定しています
264.0ニュートンはこの引っ越しに際し
267.0徹底的にフックの痕跡を洗い流しました
271.0フックの開発した実験装置に始まり
274.0フック自身の肖像がに至るまで
276.0王立協会の中心人物であったはずのフックの痕跡というものは
280.0ニュートンによってそのほとんどが可否されてしまったのです
284.0今日に至るまでロバードフックの姿を映した肖像画というものは見つかっていません
290.0ロバードフックという科学者の名前さえ
292.0ほとんど300年間の間ニュートンによってレチシカラ自実上抹消されていたのです
300.0ニュートンが必要にフックの痕跡を消し去ったのは
304.0彼がフックに対して極めて強い憎悪、あるいはトラウマを抱えていたからだと言われています
310.0結構いい争いしてましたよね
312.0ニュートンが実質的に学会デビューをした高額リオンから
317.0そしてプリンキピアに至るまで
319.0絶えずフックとニュートンの間には対立関係と緊張関係が強くありました
324.0フックの死後もニュートンはフックのことを語る時に感情的になったとさえ言われています
331.0ニュートンはかなりフックのことを意識していたということですよね
336.0そうですね、ある意味でニュートンにとって最もライバルという立ち位置にあったのがフックなのかもしれないですし
343.0同時にニュートンにとってはそれが許し方かったということなのかなと思っています
348.0なるほど
350.0さてニュートンの後年の覚悟機能について少しここからは追っていこうと思います
355.0ちょうどニュートンのとっての後年に位置する時代
358.0この時代のイギリスではジェームス2世の即位に単を発する宗教対立とそれに従って起きた名誉革命の中
366.0そういったごたごたの中でニュートンは政治家としても活動を行っていくことになります
373.0というのもこのジェームス2世の即位、それに単を発する宗教対立っていうのが
378.0このジェームス2世自身がローマカトリックを自称してはばからないような人間だったっていうことに一つ原因があるんですね
387.0ある種この時代において一度ポテスタント側へ回収した正確にはイギリスのキリスト教になるんですが
395.0そこからさらにローマカトリックへ揺り戻すっていうような動きが出てきたことに対して大きな反発が起きたっていうのが名誉革命の概略になるのですが
405.0ニュートンにこれが強く関わったのが彼自身の宗教感っていうものが強く影響しています
410.0というのもニュートン自身はある種根っからのピューリ団、いわゆる聖教徒であり、同時に強烈な反カトリック主者でもあったんですね
420.0ですのでローマカトリックへの回収っていうものは彼にとっては到底受け入れられる話ではありませんでした
427.0ニュートンは国王敗除派のホイック党に協力し、名誉革命を論客として戦っていくことになります
435.0名誉革命が完結した後、王政復古までの約1年間の間、ニュートンはケンブリッジ大学の代表者として議会に招かれ、国会議員として1年間の活動を行っていたりもします
448.0しかしニュートン自身、あまり人前で話すっていうことを得意とはしていなかったようで、この1年間の政治家活動の中でニュートンが自治力に残している発言は主演に対して窓を閉めてくれと頼んだという短い記録のみです
463.0ニュートンはその後、ケンブリッジの田舎の方へ戻っていきましたが、この1年間の都会での生活というのは、彼に社会的な地位を、地位に対する活動というものを強くも出せることになりました
476.0この時すでにニュートンは科学者としてこの上の名声を得ていましたが、同時にこの次第において、それは名誉以上でも名誉以下でもなく、実際として、いまだにニュートンはケンブリッジの田舎の一教授に過ぎなかったという背景があります
493.0ニュートンは社会的に成功していた弟子たちに手を頼み、就職活動をこの年にして始めることになりました
501.0ですがしかし、結果的にニュートンの就職活動、いわゆる就活は難行を極めました
509.0この生活の中で一度ニュートンは完全に精神を病み、桜の状態にまで至っています
515.0当時のニュートンの症状というもの、いろんな記述が残っているのですが、強い被害妄想や不眠症、さらに一時的な記憶障害までもが伴っているというふうに手紙なんかには残っているんですね
530.0プリンキピアの名誉があり、王立協会の会長である存在が就活に難行するって、すごいですね
540.0この就活が難行した理由の一つに、彼自身のプライドの高さというか、中途半端な職域では受け入れられなかったという彼自身のそのプライドの高さも影響しているようなのですが
552.0この精神桜の中でニュートン自身、本来は自分の職の世話をしてくれているはずの、弟子だった人たちに対して突然絶縁状を叩きつけたり、もしくはその弟子が自分をあざ笑っているんじゃないかという被害妄想に借られたりもしているんですね
570.0ですが最終的にニュートン自身は、チャールズ・モンタデューという人物からの紹介で、1696年にゾウヘイ局漢字という職を得ることに成功しました
580.0このゾウヘイ局漢字、本来はそれほど強い権力を持っている者ではなく、ある種の名誉的な方がキーという側面が強かったようなのですが、ニュートンがこの地位に着くと、ニュートン自身、積極的にこのゾウヘイ局に顔を出し仕事をするようになります
598.0というのも、この時期、イギリスではちょうど貨幣の懐中が行われており、それに常じた貨幣偽造というものが非常に横行していたんですね
607.0ニュートンは、この取締と適発に多くの勢力を注ぎ、任期間中に100人を超える人物を貨幣の偽造で盗獄をしています
618.0結果的に、ニュートンは、この過劣ともいえる取締と適発によって、イギリスの貨幣偽造をほとんど撲滅にまで追いやったという、ある種政治家としての非常に大きな功績も残しているんですね
633.0その後、ニュートンは、ゾウヘイ局の幹事から今度は局長に昇進し、結果的にイギリス経済を金法威政へ転換していくところなどにも深く関わっていくこととなります
647.0非常に有名な話として、ニュートン自身、このゾウヘイ局局長というポジションで初止める中で、イギリスの貨幣の金と銀の比率を決めるという仕事なんかにも携わっていくんですね
661.0結果的に、ニュートンの決めたこの金銀比率っていうのは、彼の作った宇宙大抵と同じくらい長く続いたっていう話が残ってるぐらい、ゾウヘイ局での仕事っていうのにもニュートンは積極的に取り組んだようです
676.0さて、こうした生活の傍ら、ニュートンの個人的な研究テーマというものは、若い頃からずっと一貫して行われてきました
686.0その一つが、化学であり、あるいは錬金術というものになります
692.0ニュートンの化学、化学との出会いというのは、青年期まで遡ります
697.0彼は青年期、薬剤師の家で起屍をしていたという経験が、初めてその薬品だったり、そういったものと触れ合う機会というものをもたらしたようです
707.0ケンブリッジ時代の初期には、望遠鏡に用いる反射鏡を、銅と比素と鈴の合金を自力で作ったというような記録も公的に残っています
717.01669年頃、かなり若い段階でその興味っていうものは、一般的なちょっとした柱像から錬金術っていうステップへ移り、同年に大量の錬金術関連書的の購入を行っています
731.0ニュートンの化学実験ノート、あるいは錬金術の実験ノートっていうのは、1678年頃から記録が始まり、1696年までの18年間にわたる記録っていうものがほとんど漏れなく付けられています
745.0ですので、ニュートン自身の研究テーマとしては、物理学に取り組んでいた時期よりも、化学や錬金術に咲いていた時間というものがはるかに長かったんですね
754.0実際ニュートンが物理をやっていたのっていうのは、いわゆるプリンキピアを書いていた2年間ちょっとぐらいですので、それに比べると9倍ぐらいの時間を化学に費やしていたっていう事実はあるんですね
770.0片手間みたいな感じじゃないですか
773.0そうですね、これもある種ニュートンの天才性の一面なのかもしれないですけど、あのプリンキピアでさえ彼にとっては片手間の仕事に過ぎなかったっていうのはある種事実なのかもしれません
786.0本当にやりたかったことじゃないことで成功しちゃう方なのかもしれないですね
791.0まあですがしかし、当時すでに錬金術に対しては、いわゆるサギ種の上等区っていうような見解が強かったこともあり、法律的な規制なんかもあったんですね
803.0それがニュートンによる錬金術研究っていうものが世間一般に知られてない一員になっていたりもします
810.0またこの時代の錬金術っていうものを化学の方が、まあその化学の霊名記だったっていうふうに見出す見方もあるんですが、ニュートンが取り組んでいたのは本質的に錬金術そのものでした
822.0というのも、いわゆる単純な物体と物体の反応性を議論する化学の領域ではなく、その背後にある性質だったり根本的な何かを引き出そうとする
835.0まあこのあたりはいずれまた詳しくやりたいなと思ってるんですが、錬金術の営みそのものだったんですね
842.0ニュートンのもう一つの顔として、聖書研究、あるいは進学研究者としての側面もあります
849.0ニュートンが興味を持ったのは、中でもかなりマニアックな年代学研究と予言研究と呼ばれるジャンルです
858.0これはキリスト教の世界観に詳しくない方には少し保管しておく必要があるかなと思うのですが
865.0いわゆる年代学というのは、聖書の中に綴られている記述、それがいつ起こったできることなのか、またこの人物がいつの人間なのか、みたいなことを明らかにするという学問で
878.0予言学というのは、その聖書の中で行われている宗教的な予言というものが、いつ起こったことなのか、またこれからいつ起きるものなのかということを予想するという学問です
892.0旧約聖書とか新約聖書ってなんとかきでいいんですか?
898.0たくさんのものが寄せ集められているような感じでしたよね
903.0それの順番がどういう順番に並んでいたのかとかっていう話ですか?
906.0どちらかというと、特に旧約聖書の方になるんですが、あれはいわゆるユダヤの民族が怒って、そしてそれが苦しい供教に陥っていくまでの長い歴史を綴った書物なんですよね
924.0なので、いついつにユダヤの国にこういう王様がいて、その王様がこの戦争で待てたとか勝ったみたいな話もいっぱい載ってるんですよ
933.0とか、聖書の中で登場するこの預言者、この人物っていうのが誰と誰の子で、その父は誰で、みたいな掛け図っていうものが必ず載ってるんですね
946.0それを遡ったりするっていう、なんというか地味な学問です
954.0歴史書みたいな側面もあったんでしょうね
957.0そうですね、ニュートンのこの聖書研究、あるいは進学研究に関する代表的な書作として、ダニエル書と聖ヨハネの目視録の予言についての考察っていう本があったりもします
970.0ニュートンはこの本の中で聖書解釈の世界にも数学の概念を持ち込み、ヨハネの目視録、目視録っていうのがいわゆるこの世の終わりみたいなものを書いてるものになるんですが
982.0その出来事を歴史上の出来事と結びつけるような厳密な解釈っていうものを行っていたりもします
989.0なので、ちょっとオカルチックな話にはなるんですが、ニュートンによる終末預言なんてものも世の中にはあったりもするんですね
997.0ちょっとこの辺の話はいろいろうさんくさいので触れないでおきますが
1001.0またニュートンの聖書研究の中で過激なものでいきますと、聖書の2つの謙虫な怪虫についての歴史的記述なんていう本も書いていたりもします
1013.0これは正直かなり危うっかしい話題にはなるのですが、ニュートン自身は明確に反三味一体主義者であるってことが後年の研究で分かっています
1025.0この辺の話はかなり宗教的に危うい匂いがするので詳しくは触れないんですが、ニュートン自身かなり格好たる宗教感を持っていてその立場を積極的に表明もしていたっていうのは事実のようですね
1040.0またニュートンは晩年期には年代学研究の方にも大きく注力しています
1047.0解体古代王国年代学というのはニュートンが死の際まで書いていた書籍になるんですが、この書籍ニュートンの死後に出版されたので実質的にニュートンの最後の著書にもなっています
1061.0この本の中でニュートンは古代の王国がいつ起こり、いつ滅びたのかっていうのを、いわゆるヘロドトスだったりプリニュースだったり、あるいはホメロスなんかの事実を整理して本にまとめるっていうことを行っています
1077.0この本の中でニュートンはいわゆるアトランティス大陸、過去にあって沈んだ大陸についての研究なんかもやっており、いよいよもって今日の私たちの持つニュートン像からは離れたようなことを死の際にはやってるんですね
1093.0ニュートンは晩年その思想の一つとして、自分は古代の伝統を受け継ぐ再発見者であって、革新的発見者ではないという発想にまで至っています
1104.0この思想自身、ニュートンのオリジナルというよりは、この時代に大きく流行していたヘルネス主義という思想の潮流でもあるんですが、古代に根源的な栄地があり、その思想の潮流がニュートン自身で収束してるんだ、みたいな考え方をニュートン自身持っていたようなんですね
1123.0このヘルネス主義の話も、いずれどこかで詳しくやりたいなと思ってるんですが、今日の私たちが持つ理性の時代の大現者としてのニュートンのイメージというところからは、かなり外れた人生を彼自身歩んでいたのかなというのが今回の本物の話になります
1143.0こういった生活の中で、ニュートンは晩年、通風などの病にもかかっていたんですが、それでもほとんど最後まで気力に溢れた人生を送っていきました
1153.0雑魚の仕事と両立して、王立協会の会長については、死の際までほとんど勤め上げ、王立協会の会合に至っては、その死の半月前に出産へ出席をしています
1165.0ニュートンの競年というものは、84歳とかになるんですが、その年齢にあっても彼自身はイギリスの科学界の代表者であり続け、また造兵局の代表者であり続け、それでまたオカルト研究を続けた人物でもあった。彼の人生の晩年というのはそんな流れだったんですね
1191.0プリンキピアって何歳の時でしたっけ?
1193.0プリンキピアが44歳ですね
1196.044歳でプリンキピアを書いて、一旦その名誉を得てから、晩年は自分がやりたかった研究とかに打ち込んでいった
1208.0ニュートンの人生が全部で84年間あって、そのうちの44歳がプリンキピアなので、ほとんどまだ前半戦が終わったばかりだったんですね。彼が造兵局長に就任しているのが56歳とかの頃ですので、どちらかといえば晩年のニュートンの事故足っていうのは、科学というよりは造兵局の仕事っていうのも一つだったのかなっていう印象です
1237.0あれですね、思ったより分系もやってるんですね。この分離の分け方がいいのか分かんないけど
1244.0分離の分け方自体がニュートン以後の時代に明確に成立した概念だっていう見方もあるので、この話もまたどこかでしたいんですが、ニュートン時点ではまだ科学者っていう言葉はないんですね。彼ら自身は自然哲学者っていう風に名乗っていたので
1263.0ある種、新しい哲学っていう言い方をこの時代はしてたりもしたようなんですが、なので、知覚としては哲学者に近かったんじゃないですかね。
1275.0なるほど、その哲学の本質に迫るための手段として数学があったり、それの発見しているのが今では物理学としての側面を持っていたってことなんですかね。
1289.0なるほど。
1294.01727年の3月、アイザック・ニュートンは家族に見守られ、84歳でこの世を去りました。
1302.0彼の葬儀はウエストミンスター寺院で取り行われ、一階の科学者としては、偉大なほどを手厚く、そして騒音な葬儀が行われました。
1313.0ニュートンはその死の2週間ほど前、親しい人に向かってこう語っています。
1319.0私が世間の目にどう映っているのかは知らないが、私自身には、私は運命で遊ぶ少年に過ぎず、時より普通より滑らかな小石や美しい貝殻を見つけて気さばらしをしているが、真理の大会は全く発見されぬまま目の前にあるように思われる。
1339.0ニュートンの死後を花開いた理性の時代は、科学技術を飛躍的に発展させました。化け学、電磁力学、そして生物学に至るまで、ニュートンのバトンを受け継いだ科学者たちによって、世界を包んでいた神秘のベールは剥がされていくこととなります。
1357.0ニュートンの打ち立てた古典物理学、その画像が狂われるには第二の革命を待つ必要があったのです。
1364.0神はサイコロを振るのか、そのといた手が立てられるまでは、実に198年もの時間が必要でした。